アイデン&ティティ

世界に一つだけの花。
この歌の意味を真に受けている人がどれほどいるだろう。
この歌の歌詞には「花屋の店先にならんだ、いろんな花」が「どれもみんなきれい」で、「誰が1番かなんて」気にしていない、といったフレーズがある。
でも、考えてみて欲しい。花屋の店先に並んでいる時点で、その花たちは幾多の選別プロセスをパスしてそこにいると言うことを。
そう。この花たちは、自分たちの種が持つポテンシャルを十分に開花させ、さらに一定のレヴェル(選別)をクリアーし、『ふつう』に到達した者たちなのだ。
これはすべてのことに共通する非常に重要な概念である。
多くの人達が『ふつう』に見ているものは、実はその殆どがすでに選別されている
例えば、ファッション雑誌をめくってみて欲しい。カタログとして、つまり服や髪型、物品や人物の参照のためにそれを見るときに、そこに載せられている写真のクオリティに気をとめる人はほとんどいないだろう。写真の内容に意見することはあっても、写真の優劣は考えないと思う。
しかしながら、何気なくめくっているその写真が、たとえば全くの素人が撮り集めたものだったなら、それはまるで見れたものでは無いもの、『ふつう』じゃないもの、と認識することになるだろう。これは写真に詳しくない人が見ても、だれもが等しく気づく差異なのだ。
つまり、ボクたちが普段『ふつう』と思って何気なく接しているものは、その殆どがある一定の基準をクリアーした上でボクらの目の前に現れていると言うことであり、いわんやアイデンティティを確立するとなれば、そのさらに上が求められると言うことである。
さて。
世界に一つだけの花に戻るが、この歌がもつメッセージは
・すべては未だ種である
・花を咲かせなければならない
・花屋に並ぶということには他人の価値観も含まれる
・その花にはいろいろな種類があって然るべき
ということだろうと考える。
しかし、この歌のメッセージを真に受けてしまうと、
「自分の基準を貫けば、自分のアイデンティティは確立される」
と要約される恐れがある。
自分の基準を他の人に認めさせることがアイデンティティなのだろうか。
ボクはそうは思わない。世界のスタンダードと自分との立ち位置を見つめ、ポジションを決める/創ることがアイデンティティなのではないだろうか。
少し乱暴な物言いになったが、前者のように考えている人が増えている気がするので書いてみた。
Malraux_jp
2 Comments
ぼくにもいつの間にかその考えが刷り込まれていましたw
「デザイナーは日常を創る」と。(これすら十分にできてません。。。)
日常(ふつう)に見るスーパーのチラシ、洗剤のパッケージ、雑誌の1ページにどれだけの「デザイン」が詰まっていることか。。。。
[...] This post was mentioned on Twitter by 日本のマルロゥ. 日本のマルロゥ said: @chii_iihc いえいえ。そういう意味じゃないです。ちょっとマジレスになりますけど、好き、嫌いは、クオリティの一定 [...]